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「越前笏谷石−石と人の旅−」の企画コンセプト(抜粋)

      制作:民族文化映像研究所
 
石は、自ら歩くことも、語ることもない。
けれど、足羽(あすわ)の山のこの石は、
何とはるかな旅をし、
何と静かな人の心の語り部になってくれていることだろう。
その足羽の山の石の
旅と言葉をひもといてみよう。




T はじめに この映像作品の目標と願い
 越前・福井という天与の自然のなかで、福井の先人たちはどんな生き方をし、どんな考え方や文化を生み出し、はぐくんできたのだろう。映像制作事業「福井の自画像づくり」は、その検証作業であり、また同時に顕彰作業である。この検証作業が、単なるお国自慢や感傷的追憶作業に陥らず、福井の未来のためのよき示唆と励ましに満ちたものになるように心がけたい。
 その映像制作事業の先陣を承わる「笏谷石(しゃくだにいし)」。
 笏谷石は、まさに天与の自然物である。
 グリーン・タフ時代と呼ばれるはるかな地質時代に生まれたというこの青く美しい天与の石に、福井の先人たちはどのように接し、何をしてきたか。
 石は、自ら歩くことも語ることもない。けれど、福井の先人たちが、それに寄りそい、切り出し、運び、彫り、組み、築きあげることによって、石はその内に秘めていた強く、しかも繊細な天与の力をあらわし、笏谷石文化とも呼ぶべき特性を備えた石造・石彫文化を現出させた。
 石と人の織り成す壮大な生活文化、精神文化の現出ともいえるものである。
 本映像作業「笏谷石」では、その石と人との出会いのさまを可能なかぎり綿密に記録し、その出会いから生まれたものの多彩さ、ひろがりの大きさ、質の深さを、わかりやすく、美しく、作品化する。そしてそれを、ひとり福井の人たちのみでなく、日本中の、さらには世界中の人に伝えたい。



U 作品の基本理念
 前頁にも述べたように、本作品は、いわば石と人との出会いの物語である。
 越前・福井の足羽の山に眠っていた笏谷石が、その深い眠りから出て、人びとの日常的な生活の場をととのえることをはじめ、巨大な城壁の構築、さらには死者の霊廟や墓碑を荘厳する。その展開は多彩である。
 本作品は、その多彩な笏谷石の展開と、それをもたらした越前の人の努力と願いを描く。
 その背景には、ぼう大な自然時間と越前の人の歴史時間が流れ、そこで培われた伝承と自然への信仰は、笏谷石や越前のものであることを超え、人類共通の普遍性へ通じる。
 地域的でありつつ、人類に普遍的であること。その確認への道筋こそが、未来へのよき示唆と励ましを生む。
 それが、本作品の基本理念である。
 次に、その基本理念を図示する。
(1) 石(笏谷石)の外側にある第二円周のなかは、笏谷石産出地を含む自然環境を取り上げることを示す。
   立地、地質形成、川、地下水など。
(2) 第三円周内は、本作品の最も重要な構成要素である笏谷石と人との具体的かかわりの局面。
(3) 第四円周内は、いわばこの作品の論理的解析の視点である。技術史、社会経済史、建築・造形・美術史、生活文化史、そして
   精神文化史などあらゆる視点からの解析と検証を忘れないということである。ただしこれは、あくまでも(2)をサポートす
   る役目のものであり、その限りの節度を保たせる。
(4) 外周は、笏谷石にまつわる伝承や、笏谷石を包む石、土、水、樹木、山などへの信仰を探り、笏谷石文化が決して特殊なもの
   ではなく、日本はもちろん広く人類に共通する自然への畏敬の念、信仰、精神文化に通じるものであることを示す。そしてこ
   のことが、最も深い意味でのこの作品の目標である。



V 作品の主軸(二本の構成軸による)
1 第一の構成軸「笏谷石の誕生と旅」
 本作品は、子どもたちにもよく理解できるような、わかりやすさを備えたものでなければならない。
 そこで次のような作品構成上の大事な原則が思いだされる。
 「ストーリーは単純に。資料は豊富に」ということである。
 もちろん本作品は、笏谷石の物語である。ということは、ストーリーの主軸に、笏谷石がある、ということである。その笏谷石というものが、どこから生まれて、どこへ行くのか、そしてそれはなぜか、というようないわば「笏谷石の誕生と旅」とも呼ぶべきストーリー。それが、本作品の主要構成軸の一つであり、次に記すもう一つの主要構成軸「人」とともに、この作品の主軸をなす。


2 第二の構成軸「人」
 すでに何度か記しているように、石は、自ら動くことも語ることもない存在である。つまり(1)の「笏谷石の誕生と旅」は、人がかかわることよって可能だったものである。人、それが、もう一つの作品構成軸であり、いわばこの作品の第二の主軸である。石と人、二つの軸がしっかりと位置づけられ、結び合うことによって、作品構成がゆるぎないものになる。「笏谷石の誕生と旅」には、古来、無数の人たちがかかわっている。その伝統と伝承をうけつぐ人たちに、可能なかぎりご登場いただく。長年、笏谷石を愛し、その調査や研究に心を尽くして来られた方がたも、もちろんそのなかにある。その「人」たちによる具体的行為と証言。それらが、この作品をどれだけ生気づけてくれることか。



W 構成案
1 笏谷石の誕生
 福井市の地勢的中核をなす足羽山は、青く美しい越前の名石「笏谷石」の産出地である。この作品は、その笏谷石のふるさとの姿からはじまる。

(1)ふるさと足羽山
 笏谷石のふるさと(産出地)足羽山とは、いかなる立地の地であるか。
 東の白山をはじめ、西に丹生山地の山やま、東から南へ越前中央山地の山やまを望み、眼下に福井平野のひろがりを望むこの地に立てば、誰しも言いようの無い心の安らぎ、落着きを感じるだろう。つまりこの地は、笏谷石のふるさとであるとともに、人間のふるさとでもあるのだ。

(2)採石場の世界
 これは、この作品の基本舞台である。
 大自然の生み出した地層、岩層に向かって、黙々と、営々と取りついた人間の努力の痕跡。それを、この作品の出発点としたり、あるいは立ち帰るべき帰着点としたり、自在にこの作品のなかに置きたい。そこには、大自然と人との深いかかわりが、無言のうちに、しかし雄弁に語られているからである。


2 笏谷石の旅
 足羽山で生まれた笏谷石の旅がはじまる。

(1)夜明け 古墳時代
 笏谷石文化の存在が、あきらかになってくるのは古墳時代だとされている。石棺がその象徴である。

(2)充溢 中世−朝倉氏時代へ
 越前は日本でも屈指の石文化の地である。笏谷石をはじめ種々の質の石がそこにあった。

(3)大航海 江戸時代
 近世、特に江戸時代後期は、笏谷石文化の大飛躍時期である。

(4)今日への継承
 笏谷石の輝かしい展開の歴史。それはどのように今につながってきているのか。


3 足羽山の新しい光 結びに−福井の文化から人類の文化ヘ−
 石と水、土と草木に恵まれた世界。
 その足羽山に、日々市民が上っていく。散策したり、お寺や神社にお詣りしたり。その市民たちに聞く。足羽山が、笏谷石のふるさとだということを知っていますか。
 地中深く、長く、広がっている笏谷石の石切り場、地下坑道。それは、人の手が掘った軌跡である。と同時に、自然の偉大さを刻々に感じさせられる世界である。間歩(まぶ)と呼ばれたこの地中世界に、人々は入っていった。石工さんたち、フシギさんたち……あの人たちは、どんな気持ちで、日々この地中世界に入っていったのだろう。ひょっとしたら、笏谷石の特性を駆使した繊細、優美な石仏や石塔、越前独特の荘厳様式などを刻んだのは、その地中の闇を見つめた人たちと、その代弁者たちであったのかもしれない。
 そしてその精神性の深みは、ひとり越前の人、日本人のみのものでなく、広く世界、人類に通じるものではないか。
 市民たちとともに、再び地中世界を訪ね、自らの内に湧き上がってくる想いを語ってもらおう。 笏谷石のこと、笏谷石と共に生きた先人たちのこと。
 わたしたちのこの映像記録作業は、それら越前の石・自然と人への捧げものである。

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