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記録映画「越前笏谷石−石と人の旅−」さらに詳しく作品紹介

 






[笏谷石採石場の世界]
 七ツ尾旧坑道内部の笏谷石の採掘表面には、無数の ツル、ノミ、クサビの痕がはっきりと残っている。ま た、尺六と呼ばれる寸法の石を一本ずつ上部より切り 出した痕跡も明瞭に残っている。機械ではなく、人間 の辛抱強く、長い時間をかけた手作業の痕は、規則正 しくあまりにも美しい。
  延々と続く横坑、大きな空洞、 堀り残された無数の柱、そして底が見えない深い縦坑、 いずれも長い採掘の歴史として胸に重く響く。洞窟内 部であるためほとんど風化を受けず、生々しく残るツ ルの堀痕を見ていると、洞窟の暗闇の中からツルの音 と共に、今にも当時のフシギさんたちが現れてくるよ うな気がする。

[笏谷石の伝統をうけつぐ石工さんたち]
 現在、採掘はできなくなったけれど、笏谷石の伝統 と伝承をうけつぐ人たちがいる。切り込み、石工、フ シギ、荒造り、仕上げ造り前と、笏谷石はたくさんの 人間の汗によって製品化され売られていった。地下の 石切り場は、湿度93〜97%、気温15〜17度。石工さ んたちは、夏でも綿入れのそでなしを着て作業をした。 地下であるからもちろんまっ暗で、照明はカンテラの 光だけである。
 地下の石切り場から石材を背負って坑外に運び出す のがフシギさんの仕事であった。太い息杖をついてゆ っくりアユベ(昇降路)を登って行った。石くずを石 炭箱に詰めて背負って運ぶ人や、たまった地下水をか い出す人もいた。その中には女性たちもいたのだ。石 山は危険の多い仕事場だから、石山へ入るときは人を 誘わないのが定めであった。石山へ持って行く弁当は 仏さんのごはんといっしょに別火で炊いて作った。

[そして笏谷石のはるかな旅がはじまる]
 笏谷石は古墳時代から聖なる石として愛されていた。 そして朝倉時代に壮大な石彫文化を生み出した。江戸 時代になると、笏谷石は足羽川から九頭竜川を下り、 三国湊に運ばれ、そこから北前船によって、越前特産 品として日本海沿岸の各地に運ばれていった。加賀、 能登、越中、越後、出羽、陸奥、北海道へと、その範 囲は広く、さまざまな素晴らしい石造美術として、時 代の大名、豪士、商人たちの権力、財力と、海運をも って広く伝播され、優れた石造り文化、笏谷石の文化 圏ともいえる遺産を日本各地に残したのだ。
 遠い祖先たちが開発し、伝承されてきた笏谷石は、 今もなお、福井に暮らすひとびとの身近な生活の中に あり、この土地に生まれ、育ち、暮らす人たちは笏谷 石に強い愛着を持っている。
 笏谷石の歴史と文化は、まさに世代を越えて語り伝 えていきたい、21世紀に残すべき文化遺産なのです。

[対象]小学校高学年以上

[用途]学校教育:社会(郷土学習)/社会教育:郷土の歴史・伝統

[学習のための主な資料]
笏谷石造りをたずねて(大久保まさ子著)
笏谷石文化(福井の文化財を考える会編)
石をめぐる歴史と文化 −笏谷石とその周辺−(福井県立博物館)
福井市史資料編13民俗(福井市)

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